ゼレンスキー大統領のスピーチ@ヴェネチアビエンナーレ

はじまったばかりのヴェネチアビエンナーレの付属イベントとして、ウクライナのPinchuk Art Centreとウクライナ大統領府と同文化省の共催展『This is Ukraine: Defending Freedom』がひらかれている。オープニングでゼレンスキー大統領が行ったスピーチが興味深かったのでざっくり訳した。正確さは保証しません。

new.pinchukartcentre.org

会場のみなさん。地球上のどこかの国家が自由のために戦っていない年など、おそらくこれまでなかったでしょう。しかし多くの人々がそれを知らずにいた年は数多くありました。それは独裁者がのぞむことです。2月24日のロシアによる侵攻後、わたしたちはこの自由のための戦いに、注目をあつめることができました。しかしそれだけでは不十分です。実際の支援をあつめなければなりません。武器、経済、政治的決定、継続的な情報流通。この自由の防衛にヨーロッパとアジアのおおくの国の行く末さえもがかかっているにもかかわらず、我々は支援を求めて戦わねばなりません。これこそが独裁者を助長させるのです。安全にすごすいくつかの国は、脅威にさらされる自由国家をすぐに支援する体制にありません。まだこのような支援を自身の戦いだとする姿勢にありません。

ここに疑問があります。とても重要な点です。民主主義の世界すべてが自由のもとにつくられたのだとすれば、なぜ自由をまもる時しばしば孤独を感じるのでしょうか。自由が普遍的価値ならば、自由のために戦う国になぜ等しく支援がなされないのでしょうか。重大な局面でわたしたちを隔てるものはなんでしょうか。政治家はこたえてくれません。この疑問に答え、事態を正すことのできる専門家はいないのです。メディアにも答えを見出すことはできません。なぜならこれは言葉を超えたことだからです。

一週間前マリウプルでのロシアの砲撃により亡くなった母親のために、手紙を書く少女の気持ちを表現できる言葉はありません。ロシア軍の占領を追い返しブチャにたどり着いたウクライナ兵が、殺された何百もの人々の遺体がただ地面に倒れているのをみた時。その気持ちをテレビのニュースはつたえることができません。ハルキウ市街で、ロシアの砲撃による負傷者の手当をしていた医療者が、自身も砲撃の危険にさらされながら感じていた気持ちを伝えることのできるプラットフォームはありません。数百万のウクライナの男女が今あるように、避難のために家を失う者の気持ちは、経済レポートでは伝えられません。

アートを制限しようとしない独裁者はいません。なぜなら彼らはアートの力を知っているからです。アートは他の手段で共有できないことを世界につたえることができます。アートは気持ちを伝達する。自身が自由にあるとき、どうすれば自由のために戦う他者を理解することができるでしょうか。自身が平和な国にいるとき、平和を夢見ることしかできない人々の気持ちを、どうすれば理解し、助けることができるでしょうか。自身が自由にありながら、祖国の地で戦う人に感謝するにはどうすればいいのでしょうか。これらはすべてアートに関わる問題です。

ヴェネチアビエンナーレでこのプロジェクトを実現してくださったすべての方に感謝します。ウクライナの自由を守る戦いの意味。そして地球上のすべての自由世界の人々とウクライナの人々とのつながり。そして誰にも等しい自由のための戦いを、誰しもが支援できるということ。この展示によって人々は感じることができるのだと確信しています。この戦いをアートで支援してください。同時にことばで周囲のひとに伝えてください。このアーティストたちに目を向けてくださることに感謝いたします。